先日、現在ヒューストンを拠点に世界的に活躍されているソプラノ歌手の木下美穂子さんのウェブサイトを弊社のチームで作成いたしました。
私は主に英語のプロフィールを担当いたしました。
(ちなみに、英語プロフィールの書き方にはコツがありますが、それは今週メルマガでお話します)
美穂子さんは私のブログを読んでくださり、今回、ご依頼いただいたのですが、
本当に今までブログやっていて良かったなあと思いました。
こんな方とご縁をいただけるなんて。
さて、本題に入ります。
美穂子さんといえば、世界で屈指の「蝶々夫人」として有名で、彼女の「繊細かつ大胆なソプラノ」と「豊かな演技力」は各国で大絶賛されている方です。
ベオグラード国立歌劇場、バンクーバー・オペラ(2002年・2016年)、ソフィア国立歌劇場(2011年・2016年)、デトロイト歌劇場(2008年)、オペラ・サンタバーバラ(2012)、イタリア・ピサ ヴェルディ劇場(2011年)、ロンドン・ロイヤル・アルバート・ホール(2011年)、東京(2003年、2006年、2012年)などで、このタイトルロールを演じました。
同じ歌劇場から数回、公演依頼がくるということは地元にファンが根付いている証拠です。
また、長年、本場イタリアで名ソプラノから直接指導を受け培ったイタリアンオペラスタイルとテクニックで、イタリア人しかうまく歌いこなせないと言われているヴェルディ作曲の歌劇のヒロイン役としても定評があります。
(『椿姫』ヴィオレッタ、『仮面舞踏会』アメーリア、『トロヴァトーレ』レオノーラ、『オテロ』のデズデーモナ)
すごく素人臭いコメントですが、イタリア語が当たり前とされる環境で、イタリア語で歌い高い評価を受けるのは並大抵なことではないと思います。
私やこのブログを読んでくださっていて海外で生活されている方は、その厳しさが良くわかると思います。
(もちろん、母国語で勝負したとしても、厳しいことだとは思いますが。)
そんな美穂子さんがオペラを志したのは、大分の芸術短大から、武蔵野音大の第3学年に編入し、上京した頃。
東京でオペラを生で見て、「なれるとかなれないとかは別として絶対にオペラ歌手になりたい」と思たそうです。
日本ではオペラ歌手一本で職業として成立しにくいため、必然的に海外進出に目を向け、2001年の日本「三大声楽コンクール」制覇を経てイタリアで留学をしました。
イタリアでオペラの仕事を見つけることが難しかったそうですが、「無名だから」ということで受けたアメリカでコンテストに挑戦し優勝し、今にいたります。
今のお姿だけを見れば、たぐいまれなる才能を持ち、とんとん拍子に来たように聞こえますが、美穂子さんはこれだけすごい方ですが謙虚で、常に自分を高める努力をするとともに、チャンスをつかむために必要なリスクはとってきている方だなとお見受けします。
オペラ歌手を志した時に、周りから「無理だ」と言われていたこともあったそうですが、「絶対にオペラ歌手になる」と決心したんだそうです。
美穂子さんみたいな方にも、いわゆるドリームキラー(あるいは “Naysayer ネイセイヤー” とも言います)がいるんですね。
びっくりですよ。
ドリームキラーのの癖癖は
「そんなの無理だよ。やっても無駄。」
「そうなことやっても、効果があるんだろうか」
「もっと慎重に対処すべきだ」
「やめといた方がいいと思う」
など。
(詳しくは関連記事をご覧ください。)
今回のウェブ制作と別件で美穂子さんと5か月ほどのやり取りを通して思ったのは、
やっぱり夢はあきらめていけないということですね。
そしてフォーカスすること。
そして今回私たちが作成した、美穂子さんのウェブサイトはこちらです。
美穂子さんの略歴
2001年、日本3大声楽コンクールを1年以内に制覇するという快挙を成し遂げ、一躍脚光を浴びる。
翌2002年に小澤征爾指揮『ドン・ジョヴァンニ』の ドンナ・エルヴィーラ役でのデビュー以来、日本国内外の公演で数々のタイトルロールを演じ、「繊細かつ大胆」なソプラノと「豊かな演技力」が高い評価を受けている。
特に「蝶々夫人」は自身の代名詞となり、各国の批評家やファンから「世界で屈指の蝶々夫人」と絶賛されている。
詳細はこちら。
http://www.divamihoko.com/ja/biography/